2008年一学期講義 科目名 学部「哲学講義」大学院「現代哲学講義」 入江幸男

講義題目「アプリオリな知識と共有知」


第11回講義 (2008年7月22日)


§9 共同注意(Joint Attention)続き

 

3.共同注意はいかにして可能か?

(1)前段階1:「対面的共同注意」段階の二つの側面

■相互覚知(Batesonの用語)

子どもと大人が互いに見合う。このとき、互いに見合っていることを互いに判っていることを子どもはわかっているだろうと大人は思う。しかし、これは大人の思い込みかもしれない。それを確認するためには、どうすればよいのだろうか。

 

■対象の相互覚知

大人は、子どもとの対面共同注意の場面のなかに、子どもと大人の視線上に食べ物やおもちゃを持ち込む。そして、その対象への注意を子どもと共有しようとする。

 

 

(2)前段階2:「支持的共同注意」段階の二つの側面

 

■一つの側面:大人への注意から自立して、物に注意する。

 

やまだようこ(1987)の観察記録から

「「人が声をかけると人の方を見てほほえみ、おもちゃのことは忘れてしまうか、人には無関心でひたすらおもちゃをつかもうとするかのどちらかである。まるで人と物とでは交渉のチャンネルがちがっていて、どちらか一方しか対処できないかのようである。」といった記述や、「まわりの人の意図的な訓連や励ましや承認(社会的強化)なしでも、乳児はまわりの事物に自立的な興味や関心(内発的動機付け)をもち、自ら学んでいこうとする力をもっているのである」のような記述となって表現されている」(大藪123

 

■他の側面:物への注意は、大人との関係を前提している。

「しかし一方で彼女は、「もちろん母親がいなければ不安になって、おもちゃであそぶどころではなくなるから、母親の存在が必要なのだが、遊びそのものは母親と無関係であった」とも記述している」(大藪124

 

つまり、この時期の子どもは、対象へ注意を向け、それと大人への注意は、分離しているが、しかし大人の存在が必要である。大人に見守られているという安心感を前提にして、物に対して注意を向けることが可能になっている。

 

この物に対する注意は、対面的共同注意段階で、子どもと大人の視線上に導入された対象への注意が、対面的共同注意場面からはなれて、自立したのだといえるかもしれない。

 

(3)「意図共有的共同注意」の三段階

 

■意図性を判定するための行動基準

Bates, Camaioi, & Volterra(1975)は、乳児の振る舞いに意図性を主張するには、以下の三つの行動基準に合致することが必要だと主張した。第一に、乳児が対象物と他者との間で視線を交替させること。第二に、乳児の身振りは単なる道具的行動ではなく儀式化されたものであること。第三に、他者への意図的伝達の試みが失敗したら、身振りを繰り返したり、付け足したり、さらに別のものに変えたりして所期の目標を追究しようとすること。こうした行動基準には、他者に視線を向け明確に注意を配分し、他者の行動を予測しながら自らの行動を一定の方向にコントロールするという条件が示されており、乳児の意図的行動を規定した規準として高く評価されてきた。」(大藪133-134

 

■第一段階「協応したジョイント的関わり」(coordinate joint engagement)

「対象物に一緒に関わりながら相手の注意をチェックするように見上げる」181

  「生後9ヶ月から12ヶ月にかけて出現が明確化する」181

■第二段階「追跡的共同注意行動」

  「他者の注意の方向に気づき、その方向に確実に視線を向ける」181

「生後11ヶ月から14ヶ月」181

■第三段階「誘導的共同注意行動」

  「子どもは相手の注意を対象物へ方向付けようとする」181

「生後15ヶ月から18ヶ月」181

ここでは、指さし行動148が重要になるが、それは、

命令的身振り150 (対象物の獲得を他者に要求する身振り)と 

    叙述的身振り 152 (対象物を指で指しておしえ、注意の共有を求める身振り)

に区別される。

 

(4)シンボル共有的共同注意

「言語的シンボルがもっとも出現しやすいのは、特定の人と日常的に繰り返される交流場面である。[・・・]Bruner(1983)は、この種の社会的相互作用場面を「フォーマット」(format)と呼び、所期の言語獲得に有効な働きをすると主張した。」(大藪185

フォーマットの三つの基本的な特徴

「第一に内容が単純である。そこには子どもの注意をひきつけやすい少数の単純な対象物があり、子どもはそれらの関係を容易に理解できる。」

「第二に、多くの経験が頻繁に繰り返される。それゆえ、こどもには出現する出来事が容易に予測でき、場面がもつ課題構造が理解されやすい。」

「第三に、参加者の役割構造が明確である。そこでは役割が頻繁に逆転し、あるときは受動的な役割を演じ、次には能動的な役割が演じられる。子どもは慣れ親しみ見通しがたつフォーマットの中で意図共有的共同注意を経験し、話し手の音声には指し示す対象があることに気づいていくのである。」186

 

シンボル共同注意でも、

  追跡的共同注意:大人による語の発話を理解して、対象を指示する。

  誘導的共同注意:大人が対象を指示すると、子どもが名前を発話する。

を区別できるだろう。

 

■追跡的共同注意行動

  大人の視線を追う。(11ヶ月から14ヶ月)

 (この段階では、大人の指示の意図を理解する必要はない)

大人の指差しを理解する(この段階では、大人の指示の意図を理解する必要がある)

大人の語による指示を理解する

 

■誘導的共同注意行動

  大人に指差しする (15ヶ月から18ヶ月)

  大人に語による指示を行なう。

 

 

4、共同注意から指示への移行

 

(1)指示の再定義

語や指差しによる対象指示の理解や実行は、共同注意の成立の後に登場する。

では、共同注意から指示への移行はいつ始まるのだろうか。その答えは、次の通りである。大藪のいう「追跡的共同注意」において、指示の理解が登場し、「誘導的共同注意」において、指示の実行が登場する。

指示は、共同注意への促しとして発生する。ある対象を相手に指示するためには、共同注意に先立って、自分ひとりで注意しているのでなければならない。この指示に先立つ、注意は次のようにして生じるだろう。ある対象を、共同注意した体験があれば、その対象を自分ひとりで注意することができ、さらに、自分ひとりで注意しているその対象を指示して、共同注意を促すことが出来るようになるのだろう。

 

さて、このような文脈から指示を理解するならば、次のようにいえる。

AさんがBさんに対象xを指示するとは、AさんがBさんと対象xについての共同注意を呼びかけることである>

発語や指さしは、「対象xを一緒に見よう」という呼びかけである。

 

(2)課題:グライスの意味論の再考

もし、上のように指示を理解するのであれば、我々はグライスの意味論を、シファーとは違った仕方で、修正する必要がある。(これについては、付録に述べる。)

 

 

5、共同注意と相互覚知

共同注意が、二人の人間の同一対象への同時注意ではなくて、集団による一つの注意であるとすると、それの成立の起源は、「対面的共同注意」見つけられるかもしれない。

 

(1)ベイトソンの相互覚知論

ベイトソンは、次のように相互覚知(mutual awareness)を説明する。

「相手がこちらを知覚していることを知っており、相手もこちらが知覚している事実をわきまえている時、この相互知覚は、参加者二人の全ての行為と相互行為の決定因となるのである。このような覚知が樹立すると同時に、こちらと相手で決定因集団を構成し、この大きな実在における集団プロセスの特色が二人を統制するのである。」(ベイトソン&ロイシュ『コミュニケーション』思索社、224

 

ABの相互覚知においては、次のことが成り立っている。

@ABを知覚している。

ABAを知覚している。

BAは、BAを知覚しているのを知っている。

CBは、ABを知覚しているのを知っている。

このBとCは、言語なしにも成立するのだろうか。

 

このBやCが成立しているかどうかについての、判定基準についてベイトソンは次のように述べる。

「操作的に、集団が高次段階にあるかどうかを決めるには、参加者が信号の発信を、その発信が相手に聞こえるか、見えるか、分かるかを配慮して自己修正するかどうか観察すればよい。動物にはこのような自己修正があまり見られないし、人間の場合でも、望ましいにもかかわらず、常に存在するとは言い難い。」(同書、224

ここでの「信号」は言葉に限らないだろう。身振りや泣きやクーイングでもよいかもしれない。おそらく、乳児についても、これらが観察できるだろうと予測する(が、しかしその証拠を私は知らない)。

 

問題

・相互覚知は、@〜Cだけで十分なのだろうか?

・BとCの知が言語の習得前に可能だとすると、それは命題的な知ではないことになる。これは、知覚なのだろうか? 相手の視線の方向を知覚することが必要である。

 相手の視線が自分に向いていることの知覚、この特殊な知覚が確かに必要である。

 相手の視線が、自分の(相手に向かっている)視線の方向を捉えているという個との知覚、これも必要ではないのか。これは眩暈を覚えるような魔術的な知覚である。これは単なる知覚なのだろうか?

 

(2)Davidsonの三角測量

 

「思考にとって不可欠な三角測量のためには、コミュニケーションの参加者は、自分たちが共通世界の中に位置していることを知っていなければならないからである。それゆえ、他人の心の知識と世界の知識は相互依存的であり、どちらも他方なしには不可能である。」(デイヴィドソン、前掲訳、329

 

■他人の心についての知識の特殊性

他人の心について知識は、心を持つ対象についての知識であるが、他人の身体については、運動する物体についての知識と同種であるかもしれない。他人の心は、運動する物体の内部に私が推論するのだろうか?このような場合もあるが、これには尽きないと、デイヴィドソンは考えるだろう。なぜなら、これだけなら、他人の心の知識は、私の心についての知識に、還元されてしまうからである。

他人の心については、他者の言葉をもとに知る。他人の言葉は、彼女の口から音声として発声され、私はそれを言明として解釈する。彼女の言葉は、彼女の内心を表現したものなのではない。彼女の言葉によって彼女の内心が構成されるのである。彼女の心は、彼女の言葉を離れて独立にあるのではない。したがって、私が、彼女の言葉を聴くとき、私は彼女の心を直接に知る。私が、彼女の言葉に答えるとき、私の言葉は、私の心と別のものではない。私の言葉を聞き理解するとき、他人は私の心を知る。私の言葉を他人が理解している、ということを私は分かっている。

他人の心と自分の心について、言葉によって、同じようにして知る(という側面がある。もちろん他方では、他人の心と自分の心では、アクセスの仕方や範囲が異なるという側面もある。)この知は、それぞれの個人の知であるかもしれない。しかし、そのようにして、互いについて同じように知っていることを、互いに分かっている。この知は、互いに見詰め合っていることを知る知、相互覚知と同じものであるかもしれない。


 

最終レポートについて

 

課題:共有知に関連する問題を論じること。

形式:次のいずれかの形式で書くこと

   @問題(簡潔な疑問文で表現すること)、問題の説明、答えとその論証(ないし解答の試み)

   Aテーゼ(簡潔な平叙文で表現すること)、テーゼの説明、テーゼの証明(ないし証明の試み)

分量:4000字程度

用紙:A4、40字30行、12p、

   (表紙に、タイトル、氏名、学年、学部、専攻、学生番号を記入すること)

締め切り:2008年8月19日正午(必着)

提出場所:入江のメイルボックス

     (大阪府豊中市待兼山1−5文学研究科、入江幸男宛 に郵送しても結構です。)

 

Have a nice vacation! 

 


■付録:グライスの意味論の再考

グライスの意味論での「非自然的意味」は次のように定義される。

 

<S(speaker)が、行為xによって、何かを非自然的に意味する>ための条件は、次の3つである。

条件1、Sが、行為xによって、A(addressee)にある反応rを生じさせようと意図1している。

 条件2、Sは、AがSの意図1を認知することを意図2する。

  条件3、Sは、Aによる意図1の認知にもとづいて、Aにある反応rが生じることを意図3する。

 

これにたいしてシファーは、グライスの条件1と3と、それらが相互知識になることを意図するという条件を、提案するのである。

 <Sが、xの発話によって、何かを非自然的に意味する>ための条件は、次の3つである。

(1)Sが、Aの中に反応rを生み出すことを意図する。
   (2)Sが、意図をAが認知することを介して、意図を実現することを意図する。    (3)Sが、(1)と(2)が相互知識になることを意図する。 

(参照、拙論「メタコミュニケーションのパラドクス(2)」、『大阪樟蔭女子大学論集』第31号、19943月所収、143-160頁)

 
グライスのこの定式化は、ストローソンの指摘を受けて、主張型の発話と行為遂行型の発話を統合して扱おうとしたときの定式化である。これを元に戻して、主張型の発話の場合を考えようとすると、「Aの中に反応rを生み出すことを意図する」は、「
Aにある信念pを生じさせようと意図する」という表現になるだろう。これを、我々の先の提案に従って、「ある信念pを、SAの共有信念にしようと意図する」という表現に変える必要がある。すると、次のようになる。

 

<S(speaker)が、行為xによって、何かを非自然的に意味する>ための条件は、次の3つである。

  条件1、Sが、行為xによって、ある信念pをSAの共有信念にしようと意図1している。
 条件2、Sは、AがSの意図1を認知することを意図2する。
 条件3、Sは、Aによる意図1の認知にもとづいて、ある信念pをSAの共有信念にしようと意図3する。


条件1と3を上のように修正すると、ストローソンが述べたような反例は排除されるだろう。 

この修正の展開と検討が、さらに必要である。